「ハロルドとモード 少年は虹を渡る」

オープニング、クラシカルな室内をスーツを着た男が歩き回り、ネームカードに記入したり、蝋燭を灯したり、なにやら準備中。顔は意図的に映さない。やっと顔が見えるとスーツが不似合いな、あどけなさのある少年の顔。踏み台に上がると足を離して、足元だら~ん。
なぬ?首吊り?とショッキングスタートにびっくりしてしまったのだが、豪奢な室内に入ってきた女性は首吊り少年を一瞥しても驚くことなく、電話を続ける。どゆこと?かというと、少年ハロルドが狂言自殺を繰り返すので、ママはもういい加減にしてくれとセラピストに丸投げ状態なのだった。ハロルドがまたやったというわけだ。
嘘だよ~ん。

何不自由ない超お金持ちの家の息子ハロルド。15,6才くらいかな?と観ていたのだけど、子供っぽい息子に、もう大人になって結婚しなさいと結婚相談所から紹介される女性とお見合いしたりするので、実は20才くらいのようだ。学校に行っている様子も仕事している様子もなく、好き勝手し放題、自由時間たっぷりみたいなので、知らない人の葬儀にちゃっかり参列するという趣味を堪能する日々。愛車は霊柩車。
バスルームを血みどろにして死んだふりをするハロルド。ママに見せるだけの演出に結構な手間暇と予算。お金持ちでようござんしたね、という感じ。好きなことやってるけど、生きるのがつまらなそう。覇気のないハロルド。
そんな時、知らない人の葬儀で見知らぬ老女モードから声を掛けられる。彼女もまた見知らぬ人の葬儀にちゃっかり参列をする者だったのだ。そんな人がもうひとりいた!
葬儀の席での黄色い傘は外国でもアウトみたいだけど、そもそも未関係者なんす。

とっても気が合って、共に時間を過ごすことになるハロルドとモード。廃棄物処理場で物が壊されるのを眺めながらピクニックしたり、盗んだ白バイで走り出したり。笑顔を見せるハロルド。とっても楽しそうで、生き生きしてくる。

ぶっ飛びばあちゃんモードのことがどんどん好きになるハロルド。ママが選んだ結婚相談所からのお相手と自宅でお見合いを続けてはいるけど、車泥棒常習犯、法律軽無視で自由に暮らす、ぶっ飛びモードとの時間に匹敵するような人はみつかるわけもない。
法律無視で白バイさえ勝手に拝借するモード。1971年公開の映画なので、時代的に反体制のスタイルが自由と同義に近かったのだろうと思う。小さいことは気にすんな、と好きな感じで生きるモードに出会って、ハロルドに光が差したように心持ちが変わっていく。
遊園地デート。ハロルドはメダルタイパーで「あなたを愛している」の刻印を入れてモードに手渡す。喜ぶモードがさっとメダルを遠くに投げ飛ばす。「これでもう失くすことはないわ」これが彼女の生き方なのだ。
もうすぐ80才の誕生日が来るというモード。年齢差のあるふたりだけど、ぴったりくる相手に巡り合えたいう、自然な展開になっていた。80才のモードと精神の幼稚が過ぎるハロルドが遊園地デートの後寝るという展開を受け入れられない人もいるかもしれない。モードが諭すべきでは?と。諭すべきは”人並み”の生き方とか?
けれど、身を引くとか、私は老女なので、とか、そういったことは惹かれ合うふたりに意味がないし、ハロルドが満足しているように、モードもまたいくつだろうと、年齢差があろうと何を躊躇することがあるだろう。人生を楽しむということを見せている映画だと思うので、ぼやかしなしで、ふたりがその後寝ましたよ、というふたりが裸でベッドに横たわっているシーンを見せることは外せないのだ。結婚を決めたハロルドに対して、80才の老人のお尻は垂れてるし、考えたくもないと驚かれるのだが、ハロルドはそう思ってないので外野は関係ないんで。仮に数年後にそう思うとしても、今を生きてくれたまえ。
ハロルドがモードの手を取った時、モードの腕に数字の入れ墨が見えた。ちらりと見えただけだったが、アウシュヴィッツの生存者であることを示唆していたと思う。ただ生きるにあらず。楽しむべし。というモードの精神の起点。その精神が半死に状態だったハロルドに溶け入り、お互いに影響し合うという恋愛の醍醐味がここに。