誤解だ、自分は自由人なんだ!ならばパッツィーは?パッツィーも連れて行ってよ!

それでも夜は明ける

 

 

勘弁してくれ、な映画。酷い描写が多いので覚悟を。

 

南北戦争前のニューヨークでヴァイオリン奏者として家族と暮らしていた自由黒人ノーサップ(キウェテル・イジョフォー)は、白人二人に仕事を持ち掛けられ、騙されて拉致。奴隷として南部に売り飛ばされる。

 

「自分は自由黒人なんだ。」と言うも、虫ケラのように殺されたり、痛い目に合わされたりする周りの奴隷黒人達を見て抵抗することをやめ、奴隷として過酷な日々を過ごすことになる。原題は「12 Years a Slave」。再び自由黒人となるまでの12年間を描いた実在した人物の手記を元にした物語。

 

農場主フォード(ベネディクト・カンバーバッチ)の奴隷となったノーサップ。トラブルを避けるため、読み書きが出来ることを隠していたが、教養のあるノーサップはフォードに気に入られる。

 

ある日、自分より賢い黒人ノーサップに我慢ならない大工の白人(ポール・ダノ)は仲間の白人とノーサップを木に首吊りにする。首吊りしているところを見つかって白人達はその場から逃げていくのだが、吊るされたノーサップはそのまま放置される。つま先立ちでぎりぎり耐えるノーサップに手を貸す者はいない。苦しむノーサップの側で白人だけでなく、黒人奴隷達がいつも通りの暮らしをする様子が続く長回しシーン。黒人の首吊りが非日常でもないことなのか、白人のした事を正すのがタブーなのか、放置の理由は説明されない。ただ、ただ放置。心底怖い。

 

知らせを聞いて駆け付けたフォードが紐を解いてくれるが、トラブルの気配を感じて、借金もあるしとノーサップは別の農場に売られることに。新しい農場主のエップス(マイケル・ファスベンダー)、その妻の黒人に対する言動が異常。しかし、当時はこれが咎められるようなことでもなかったことが恐ろしい。暴力的ではなかったフォードと違い、エップスは黒人を暴力で痛めつけるのが好物な人間。何かと鞭打ちして懲らしめる。

 

暴力を好まなかったフォードから冷徹なエップスの所へ行って酷い目にあう訳だけど、心優しい人物像のフォードであっても黒人奴隷を同じ人間ではなく、普通に所有物として扱っていることにも静かに戦慄を覚える。彼らにとって黒人奴隷は所有する家畜と同じ。

 

エップスは黒人女性が性的に好みで、若い黒人奴隷のパッツィー(ルピタ・ニョンゴ)を昼は綿摘みで働かせ、夜の相手もさせていた。どんな生活だ。その生活から逃れる術もないパッツィー。自分の意思でなくエップスの相手をしているのに、エップスの妻からの嫉妬を受け、二重、三重に出口なしの暮らしをしているのだった。嫉妬が過ぎて、妻がパッツィーに重たそうな酒瓶を投げつけるシーンがある。圧倒的優位に立ちながら、奴隷に負けている自身と夫への苛立ちを冷たい暴力で解き放つ妻。夫エップスは下等生物と思っている黒人に惹かれてしまうという自身の癖に複雑な感情を持っているようだ。それを演じるマイケル・ファスベンダーの上手さ、憎らしさがすごい。その場から引きずられて離れるだけが流血パッツィーの出来る事。本当に出口なし。誰か救ってやってくれ。

 

勝手に外出したと怒られるパッツィー。「体を石鹸で洗いたかった。石鹸をもらいにいっただけなんです。」小さな石鹸の塊を見せ農場主エップスに許しを請うが、許されず裸にされて鞭打ちされる。

、、、と辛いシーンばっかり。人間って怖いですな。疎かですな。と気分が沈む。

 

もう、嫌だ!と思ったのが、ノーサップが自由黒人ということが証明され、とうとうエップスの農場を離れる時。ノーサップの馬車が走り出すのを呆然と見送るしかないパッツィー。離れていく馬車の向こうでパッツィーが泣き崩れるのが薄ぼんやりと見える。自分だけ救われるのだ。パッツィーは今後も地獄の日々を生きる。

 

パッツィーが心配。ノーサップのことはもういいです。パッツィーのことを!とパッツィーで頭がいっぱいになる。皆がそうなったようで、パッツィーを演じたルピタ・ニョンゴアカデミー賞助演女優賞を受賞した。納得の受賞。

 

自由黒人と奴隷黒人。ノーサップが自由に戻ったとて、なんら溜飲が下りない。ノーサップのみの解決でハッピーエンドには到底持っていけない異常世界が実際にあったこと、それが現代でも解決しえない差別意識の醜さを描いていて苦しい。