寝るな、ヘビがいるぞ。アマゾン少数民族の超絶ユニークな言語と生き方に、己の生き様を振り返ることになる。

「ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観」

   ダニエル・L・エヴェレット:著

   屋代通子:訳

 

 

ブラジル奥地のアマゾンで暮らす少数民族ピダハン。彼らの言語には数の概念がない。色を表す言葉もない。右も左もない。著者であるキリスト教伝道師、後に言語学者となるアメリカ人がピダハンと共に暮らして知ることになる驚愕の世界観。読み進むにつれて、自分を取り囲む世界との違いに一体自分は世界をどう見ているんだろうと、全く別の視点から世界を見ることの不思議と解放感が沸き上がる。共に旅する気分で駆け抜けるノンフィクション。

 

ピダハン言語の特異性に興味を持ってわくわくと読み始めると、最初は著者ダニエルが妻とまだ幼い娘3人を引き連れてジャングル暮らしをスタートした途端にマラリアに罹ってしまい、治療をしてくれる人を探して村々をボートで移動して右往左往する様子が延々と描かれるので、死にそうになって苦しんでいる家族には大変申し訳ないが、言語の事を読みたいし、こういったジャングルに来た都会人のバタバタ話はいらないんじゃない?とじれったく思った。こういうのがずっと続くのか?と言語の箇所以外は読み飛ばそうかとも思ってしまったのだが、結局読んでみて、本当に読み飛ばさなくてよかった。

 

読み進むうちに解ってくるのだが、言語というものがその民族の暮らし、文化に根付いたものである以上、ピダハンの生活圏に入り込んだダニエル家族の日常生活は当然密接に繋がっていて引き離して語ることが出来ない。ピダハンの人々は基本的には暴力を嫌う穏やかな性質を持つが、時に殺しを含む野蛮な行いがあることも匂わせ、文明から遠ざかって暮らすピダハンとその周辺の民族とダニエル家族との実際の関わりが言語の不思議を立体的に浮かび上がらせているのだ。言語の話のみでこれらの部分がなかった場合、この物語の魅力は半減していたと思う。

 

著者のダニエルはピダハンの村に入った当初は、キリスト教伝道の手助けとして聖書をピダハン語で翻訳するために言葉を研究し始めた。まだ幼い子供達を連れてピダハンの人々と過ごす中で、子供への躾に大きな違いがあることに気付く。悪い事をした娘シャノンへ折檻をしようとする様を見たピダハンがなぜそんなことをするんだと不思議がる。

 

ダニエルは自身の子育ての手本には暴力があったと告白している。最初の子供シャノンが生まれた時、19歳と若かったダニエルは「未熟さとキリスト教的子育て観とが相俟って、鞭を惜しむと子どもをだめにするという聖書の教えにしたがい、体罰は妥当であり効果があるとわたしは考えていた。」と言う。

 

驚いた。が、古い時代を描いたアメリカの文学、映画等で一端の父親が革ベルトを外して子供を折檻する様子や当時の白人が奴隷黒人らに鞭打つ暴力にどうにも腑に落ちない部分があったので、この記述で合点がいったのだった。聖書にあるならば、心の奥底がどういう感情からであろうとも、鞭打つ行為自体に抵抗感が薄くなるのかもしれない。

 

”鞭を惜しむと子どもをだめにする”という教えがキリスト教にあるのは本当か?と思って調べてみると、確かに聖書に「鞭を惜しむな」はあり、他にも随所に鞭の表現が出てくるという。しかし”鞭”を子供を正す為の別の行動の隠喩であると解釈することも出来ると。でも、、、書いてあるということは、それを深読みしなければ素直に鞭を惜しまずに躾をするぞとダニエルのように教義に従う人も出てくるでしょう。だって聖書を信じてるんだから。

 

実はダニエル以前にもピダハンの村に入り聖書の教えを伝えようとした伝道師がいた。が、ピダハン達は全く興味を持たず、長年の滞在でピダハンとの関係も良好だったダニエルもとうとうピダハンにキリストの話はもう聞きたくないと言われてしまう。ピダハンの言語と文化には”今”という直接的な体験に根差しているらしいことが分かってくる。ピダハンは直接誰かから聞いた話、体験した事でないと興味がない、信じるに値しない。誰も会ったことのないキリストという人の物語、大昔の物語に価値を見出せないようだ。

 

そもそもピダハンはどの民族でもあるとダニエルらが信じていた創世神話や口承の民話を持っていない。今自分が見聞きできる直接的な体験を重要視しているピダハンにとって自分達がどこから来て、、、等という話に興味がない。今、ここにいるのが全てということだろう。それ以上に何を?という、別目線。豊かなジャングルにはピダハン達が食べるものが豊富にあって、彼らは毎日魚を獲りに行ったり、木の実を食べたりして笑って暮らしている。明日の食べ物を取って置くこともない。だってそこに十分にあるよね、ということだ。その日より先の計画は立てないし、遠い未来、昔の事は話さない。

 

性に対してもおおらかで男女の諍いがあったりもするが、結構あっさり目に解決する方法を持っていたりする。浮気した夫を膝枕しながら、妻が棒で夫を気が済むまで叩く(!)。叩き終われば元に戻る。ピダハンの直接的な気持ちの放出の仕方と傍から見るとマンガのような仲直りの方法にユーモアさえ感じる。”今”を生きる人々の明日への切り替え。

 

ダニエルはピダハン達に無意味な生き方をやめて、喜びと信仰に満ちた人生を選ぶ機会をキリスト教を伝えることで提供しようとした。しかしピダハンはそのキリストという男が自分が言った通りに人を振る舞わせたがっていると理解していることが分かってダニエルはショックを受ける。

 

良かれと思っていた。信じていた伝道の使命に疑念が浮かんだダニエルは心身を休めるために一旦休暇を取って伝道の難しさについて考えているうち、福音学の恩師がよく言っていた「救いの前に彼らを迷わせなければならない」という言葉を思い返す。満たされた生活をしている者よりも迷える羊の方が救いを求めて新たな信仰を受け入れる。”今”の暮らしに満足して笑って暮らすピダハンに全くキリスト教が受け入れられない答を見つけるのだった。人の手など借りなくとも彼らは問題なく自分の事は自分で守るし、自分の手で守りたいと思っているのだった。はっきり言うと、余計なお世話なのだった。

 

私はキリスト教徒ではないので、ピダハンの方に近い。ダニエルは善良な人だと思うし、ピダハンにより幸せになってほしくてやっている。が、本当に余計なお世話だと思う。自分達が信じるものが絶対だと無理に他者にぶち込まないでほしいのだ。

 

さすがにダニエルは自分が大切にしてきた教義も信仰もピダハンにとっては全く的外れだったと気付く。この神聖なメッセージが世界のどこに行っても通じるものだと信じ込んでいた自分を振り返る。ピダハンに福音を拒否されたダニエルは自分自身の信仰自体にも疑念を抱くようになり、もはや聖書の言葉も奇跡も信じなくなる隠れ無神論者となって年月を過ごす。いつしか脱信仰者だと人に知られてもいいという心境になった頃、とうとうカミングアウトして家族崩壊する。

 

ピダハンの子供達の屈託のない笑顔の写真が添えられた最終章でダニエルは「ピダハンはただたんに、自分たちの目を凝らす範囲をごく直近に絞っただけだが、そのほんのひとなぎで、不安や恐れ、絶望といった、西洋社会を席捲している災厄のほとんどを取り除いてしまっているのだ。」と書いている。どちらの世界がいいとはわからない。だが「絶対的なるもののない人生、正義も神聖も罪もない世界がどんなところであろうかと。そこに見えてくる光景は魅力的だ。」とピダハンの世界に魅了され、自身の信仰さえ捨てた。

 

「西洋人であるわれわれが抱えているようなさまざまな不安こそ、じつは文化を原始的にしているとは言えないだろうか。そういう不安のない文化こそ、洗練の極みにあるとは言えないだろうか。」

 

人生をあるがままに楽しむピダハン達の言語に、自分達に当たり前に存在していた土台がない事に驚き、その意味する事を考えた末にダニエルが到達した世界観。これは、ただ言語を探る物語ではなかった。アマゾンで猛烈に蚊に刺されながら体感した、たたき上げ哲学ノンフィクション。相当面白い。

 

 

ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観 [ ダニエル・L.エヴェレット ]

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感想(2件)

 

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犯人に寄り添いすぎるデンゼル。早くマスクを引っ剥がせばいいじゃん!

「インサイド・マン」

 

 

冒頭、クライブ・オーウェンがカメラ目線でこちらに話し掛ける。一度しか言わないから聞いとけ、と視聴者に緊張を強いる。で、可能だから金を盗ると言うんだ。オーウェンは1畳くらいのコンクリートブロックで囲まれたスペースに閉じ込められている様子。そんな狭い所で腕立て伏せをしたりして。捕まってるのか?

 

で、いきなりインド音楽が流れて煙に巻かれたら、マンハッタン信託銀行で銀行強盗発生。サングラスにマスクで顔は見えないけど、今さっきのカメラ目線からの流れでリーダーがオーウェンと分かる。

 

強盗団は人質となった銀行スタッフ、客ら全員に着替えを要求。全員が強盗団と同じ服装でサングラス&マスク姿になる。どさくさに紛れて誰が犯人か分からなくする作戦が功を奏して、警察の強盗団確保が難航していく中、この銀行の貸金庫に何かまずいものがあることが分かってきて。。。という、どゆこと?と先が気になるストーリー。リズムよくどんどん話が進むので、しっかりついてきな。分からなかった人は2回観てな、という映画。

 

ゾロゾロ出てくる同じ格好の人達。誰が犯人かもう分かりっこない状況。どうやって見分ける?

 

オーウェンがお金目的って冒頭言っていたのに(言われた通り、しっかり聞いていたよ)強盗団は貸金庫の引き出しひとつだけを狙い撃ち。蓋を開けると大きい封筒を取り出した。封筒の下には中に粒ダイヤがたんまり入っていそうな赤紫のビロード子袋がゴロゴロと。それらには手をつけないで引き出しを元に戻す。

 

オーウェンがちらりと見せたその封筒の表には鍵十字マークが入っているんだ。中身がナチス関連資料だと透かして、きな臭いのお。

 

銀行強盗事件に対処するのはデンゼル・ワシントン刑事。骨太な刑事でグングンと真相に近づいていく。銀行内に入って犯人オーウェンと直で話したりして。その間もオーウェンはサングラス&マスク姿だから、デンゼルはオーウェンの顔を見てない。

 

チャンス到来。デンゼルとオーウェンが取っ組み合いで階段落ちするシーンがあって、二人で階段で絡まりながら止まる。ここでだ。自分だったら、まずは犯人のマスクを引っ剥がすと思う。デンゼルはあんなに機転が利くのにマスクに手をつけないとはどういうことだ!と敏腕刑事デンゼルより自分の方が動けると思わせてしまうあのシーンはいただけない。なんで顔見ようとしないの?紳士協定かなんか?じれったい。犯人に寄り添い過ぎるデンゼルなのだった。ここ以外はオッケーなデンゼル、素晴らしい働きぶり。

 

出演陣が豪華。デンゼルと共に事件を担当する刑事にキウェテル・イジョフォー、銀行頭取にクリストファー・プラマー、頭取の秘密を守るため立ち回る弁護士にジョディ・フォスター。

 

ひとつ文句があってだな。出演陣が豪華でいいねと思って観ていて、ウィリアム・デフォーが出てきたから、お?となったんだけど、小さい役で終わるという。詐欺。

 

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戦時下にお坊ちゃま、ひとりきり。

「太陽の帝国」

 

 

クリスチャン・ベイル映画デビューの戦争映画。

 

日中戦争時に上海のイギリス租界で中国人の使用人らに囲まれ、何不自由ない暮らしをしていたジェイミー少年(クリスチャン・ベイル)。イギリス租界は安全だと思われていたが、日本軍が攻め入り避難する混乱の中でジェイミーは両親とはぐれてしまう。子供ひとりで過酷な環境下の中、なんとか生き抜いていくジェイミーのストーリー。

 

少年時代のクリスチャン・ベイルが大人クリスチャン・ベイルの面影そのまま。綺麗な顔立ちでお坊ちゃま役が似合う。そんなお坊ちゃまが日本軍の支配下で収容所入りしたりとハードな日々を生きることになる。甘ちゃんジェイミーはひとりで大丈夫なのか?

 

両親とはぐれてしまって一旦家に戻ったジェイミー。家人が居ないのをいいことに、使用人の中国人が金目の物を運び出していた。どうしたの?と声を掛けるとジェイミーのお世話係をしていた女は黙ってジェイミーにビンタを食らわす。もう知るかよって感じの手の平返し。真顔の使用人が怖いっす。

 

街では靴を奪われ、少年がひとり生きていくには過酷すぎる。アメリカ人ベイシー(ジョン・マルコビッチ)に拾われるのだが、ベイシーとしてはあくまでジェイミーは使いっ走り。いいように使われて、地雷が埋まってるかもしれないエリアに鴨狩りに行かせたりして。危ないっての。泥だらけで帰還。

 

少年の浅はかさ、やかましさが戦争にこれほど合わないとは。平常時ならば元気でいいね、バカだなぁ、で済んでしまうところ、いちいち悪い方向に行くので、なんだか観ていてイラついてしまう。死ぬか生きるかの時、ちょっと黙ってなさい!バシッ!中国人使用人みたいにビンタの気持ち出ちゃう。

 

ジェイミー少年が元々良い子でもないので、収容所内でそっと盗んで物々交換の売人となって走り回るのも、逞しいというよりも、そうなっていってしまうんだねと心配に。ただジェイミーは人でなしとは一線を引いているところがあったので、そこは育ちの良さか。死ぬ前でなく、死んでから物を頂く、とか。。。酷い話だが。

 

日本軍の少年(片岡孝太郎)のにこにこ顔が印象的。唯一苦しみを漂わせない人物設定でジェイミーにとっても心が安らぐ存在。その彼も特攻隊員となっていくのだ。

 

日本軍ナガタ軍曹を演じた伊武雅刀もいい配役。キリっとした厳しい顔立ちで知的さがあるので収容所でのトップだと一目で分かる。案外と日本軍をニュートラルに描いているように思った。鬼畜のようには描いていない。

 

この映画自体はジェイミーが段々荒んでいくのを見せることで反戦を訴えているのかもしれないけれど、子供が主人公だからか、その盛り上がりに欠けるようにも思った。共感できる部分が少ないからかもしれない。ジェイミーが元々零戦が大好きで日本軍を好意的に捉えていて、敵味方の概念が皆と違っていたことは、戦争の無益さを示唆していたのだろうか。。。いや、ただ単に零戦がかっこいいからなんだが。

 

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棺桶のこと忘れてたのか?死者への冒涜、もう怒ったからね!!

「ポルターガイスト」

 

 

口から白いふわふわしたものを吐き出すのは、この映画か?とよくわからないままに観た。オカルトホラーものでもっとおどろおどろしいのかと思ったら、案外ファミリー映画っぽいノリ。スティーブン・スピルバーグ制作。なるほど。

 

一家に超常現象が襲い、5才の娘が異次元の世界に吸い込まれる。家族は娘を連れ戻すため、霊研究者達と壮絶な闘いをすることに。

 

吸い込まれた5歳児、キャロル・アン。天使的可愛さ。テレビ放送の終わった砂嵐画面に向き合い、何者かと会話する幼子。超常現象を「テレビの人たちよ」とあっさり解説。助けに行くから、待っててね。

 

騒がれるのが嫌だと警察には行かないことにするパパ。キャロル・アンが連れ去られた部屋はとんでもないことになっているのだった。ベッドからおもちゃから部屋をぐるぐると浮遊。オレンジのレコード盤の溝にコンパスの針が当たって『きらきら星』が流れるというおふざけぶり。スピルバーグ風味。紛うことなき超常現象にパパは警察でなく、霊現象の研究機関へ助けを求めた。

 

「どういうことなの??」チームのリーダー格、レシュ博士。これだけのクリアな超常現象を初めて目にした研究チームは、出されたお茶を持つ手がブルブルしちゃって、なんか頼りにならんのでは?

 

今までの研究とは桁違いの現象なのか「超心理学なんて卒業証書もないし、開業に免許もいらないのよ」と弱気になって言わなくていいことまで吐露するのが面白い。でも「怖いわ」と言いながらも色々調べてくれて、霊の道みたいなものを探し当てた。

 

闘いの中レシュ博士とママには絆が出来てきて、助けを連れて戻ってくると約束。連れてきたのが超小柄な女性。声がどこから出てるのか?の超高音階で、どこか人間離れした本物感いっぱいの人。これはいけそう!

 

いざ、対決!!

 

ロープを用意してキャロル・アンを霊界との狭間から連れ戻そうとする、超アナログ&力業作戦。超小柄な女性が霊界に行くから私の腰にロープを結び付けてと言うに、ママが知らない女性だとキャロル・アンが嫌がるから私が行くと。危ないよ!超小柄女性も「向こうに行ったことないでしょ」と諫めるのだが「あなただってないでしょ」に「そうね、あなたが行って」と結構あっさりで笑う。危ないからパパが行くと言い出すけど、ロープを支える力持ちがこの世にいないとってことで、やっぱりママが。

 

どうなる、ママ?パパ、キャロル・アン?

 

怖くはないホラームービー。ファミリームードで可愛いし、お子様のファースト・ホラーにぴったり。

 

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異常愛に身を浸すふたり:あなたはいつも弱くいて。私を必要だと感じられるように。

「ファントム・スレッド」

 

 

美しい映画だ。が、ここで描かれる愛の姿は異質。優しい時間よりもキリキリとした緊張感ある同居生活が続く。男女の愛とはどのくらいバリエーションがあるのだろう。

 

レイノルズ(ダニエル・デイ=ルイス)はロンドンで上流階級のオートクチュールドレスをデザイン、制作するファッションデザイナー。仕事の鬼で独身主義。レイノルズはその時々で女を側に置いていたが、愛情を掛けることに熱心ではなく、女との関係が終わりを見せると、共に事業を営む姉シリル(レスリー・マンヴィル)がレイノルズに代わって別れを管理した。レイノルズはデザインの事だけを考えていればいい。

 

白髪交じりのダニエル・デイ=ルイスが1950年代のエレガントなオートクチュールドレスを手掛ける、神経質で完璧主義のファッションデザイナーを演じる。気難しい役がぴったり。エレガントな男を演じさせたら、この人。ダニエル・デイ=ルイスは本作で俳優業を引退した。

 

大きな仕事が終わって田舎町の別荘へと休息に出向いたレイノルズは、地元のレストランでウェイトレスをしていたアルマ(ヴィッキー・クリープス)に声を掛け、夕食に誘う。別荘に招かれたアルマはレイノルズと素敵な時間を過ごし、ロンドンで二人は同居を始める。仕事に戻るとピリピリと神経質になるレイノルズ。前の女と同じく、冷淡な物言いでアルマを軽くあしらう。結構酷め。いつもの関係が別の女に変わっただけかに思われた。この関係もほどなく終わるのか。二人の愛はぐらぐらのバランスの上に危うく揺れていくのだった。


素朴な田舎娘だったアルマは、レイノルズの美しいドレス制作の現場に身を置くうちに少しずつ変化していく。

 

自分は何なのか?なぜレイノルズの側にいるのか。ひたむきすぎるレイノルズへの強い愛情を持っていたアルマは、彼の心が自分に向けられていない苦しさから一線を超えていく。

 

到底敵いそうもない強者レイノルズ。自分に出来ることは?そうだ!別荘には近くの森に自生する毒キノコを見分けるための図鑑があった。毒キノコ摘みに出掛けるアルマ。乳鉢でキノコをすり潰して、レイノルズの茶に振りかける。。。毒を盛った恋する狂人アルマ。

 

茶を飲み、仕事中にぶっ倒れるレイノルズ。死にそうになるレイノルズを甲斐甲斐しく介抱するアルマ。弱気になったレイノルズはアルマを求め、独身主義は終了。アルマに求婚する。私、毒を盛ったんだけど。。。躊躇するアルマだったが、やっぱり嬉しくて結婚する運びに。

 

優雅なオートクチュールドレスの話に急展開の毒盛り。殺すんかい!おーこわ。と思ったのだが、ある意味もっと恐くて、どうやらアルマはレイノルズを弱らせたいだけだったようだ。弱い彼になって私を必要として欲しい。

 

そもそもアルマとレイノルズは育ちが違いすぎて、食事の際にアルマが音を立てるのをレイノルズは我慢ならない。アルマはあなたは神経質すぎると気にしない。こういうことってお互い直す気がないと結構大変だと思う。

 

で、結婚してよかった、よかったとはならず。回復した仕事の鬼レイノルズはそのうちまたアルマの事が一番ではなくなる。それが不安でならないアルマは。。。別荘での食卓で大胆にも乱切り毒キノコのオムレツを用意。

 

バターたっぷりのこってり料理が嫌いなレイノルズへの当てつけか、バターを十分に入れて毒キノコをソテーした後に、さらにたっぷり追いバター。アルマはもう止まらない。水差しをわざわざ高く持ち上げて大きい音を立てて水をそそぐ。嫌がらせ。もう言い争いもしない二人。愛はどこへ?

 

いや、これが愛だった。毒キノコソテーだって食べたるわ!!

到底理解できない愛に生きる二人なのだった。

 

 

お姉様のシリル。偏屈愛の弟と女との関係を冷静に捉えて、弟の良きようにマネージしていくシリルもまた冷淡でもあるのだが、アルマは中々やるぞと手を差し伸べることになる。レスリー・マンヴィルが感情を一切震わせない出来過ぎの女を魅力的に演じて、映画内にピリッとスパイスを効かせている。ウルフ的助演女優賞受賞。

 

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神と人間の対決。そもそも人間勝てないっしょ。いや、神と人間のハーフが人間の味方についてるぜ!

「タイタンの戦い」2010年版

 

 

ギリシャ神話。神ゼウス(リーアム・ニーソン)とその弟ハデス(レイフ・ファインズ)らオリンポスの神々が人間、最近生意気じゃね?と人間をちっとばかり懲らしめてやろうかという気まぐれで、人間界と神界の戦争が勃発。神ゼウスと人間のハーフであるペルセウス(サム・ワーシントン)は人間側に立って戦うというファンタジー・アクション。

 

ハリーハウゼン版と呼んでいる1981年制作の『タイタンの戦い』。ストップモーションアニメの神、レイ・ハリーハウゼンの独特のカクカクしたアニメーション表現が大好きなので、最早何でもできるぜ、の2010年制作のこちらでは、あのカクカクアニメはどうなってしまうんだ、と興味津々で観た。

 

で、現代的で滑らかでありながらの、かつてのカクカクアニメ感にリスペクトを感じる仕上がりになっていて好感度高し!

 

見る者全てを石に変える、メデューサは長~い尻尾のヌメニョロ表現が怖さ増強。

 

脇役もナイス出演陣。でもメデューサとの戦いで続々石になって死にゆく。

 

ペルセウスと共に戦う若い戦士エウセビオスを演じるはニコラス・ホルト。眼差しがきれい。でも石化で退場。残念。

 

人間側のドラコ隊長はミッツ・マケルセン。渋い。かっこいい。頼りになる。が、彼も石化。え、終わり?今までありがとう、合掌。

 

神ゼウスはリーアム・ニーソン。オリンポスの神々って柔らかい布たっぷり垂らした衣装のイメージがあるけど、ごっついキラキラ甲冑スタイル。監督がアニメ『聖闘士星矢』のファンでオマージュなんだそう。「戦い中だから甲冑つけるのが自然」と監督。まぁ、ゼウスが天界で会議ばっかりで直接戦うシーンはなかった気もするが。

 

冥界の神であり、ゼウスの弟のハデスはレイフ・ファインズ。兄ゼウスのキラキラ明るいイメージに対して、暗~くて悪~いイメージで登場。影の存在に甘んじてきたことで兄ゼウスにメラメラと黒い感情あり。

 

全く違うルックで現れた兄弟なのだが、顔だけ映されたり暗い場面だと、あれ、どっち?となることがあって、この俳優ふたりは実は顔が似てるのかも?メイクが同じ??

 

序盤で登場、ペルセウスを海から拾って育ててくれた漁師の義父役がピート・ポスルスウェイト。コバヤシきたーーー!(ユージュアルサスペクツ)と喜び。

 

巨大怪物クラーケンもヌメッとしてた。とぼけ顔でどちらかというと、恐いというよりちょっと可愛い風味あり。

 

今作のオリジナル登場人物、天使なのかなんなのかよくわからんかった謎の美女イオ(ジェマ・アータートン)の登場でクラーケンの生贄にされる王女アンドロメダ(アレクサ・ダヴァロス)の影がすっかり薄くなってた。戦いの男臭さの中で華を添えるため、どうしても道中に美女を配したかったのでしょう。なんだかペルセウスとイオで続編がありそうな雰囲気を散らして完。

 

素直に結構楽しく観たよ。ハリーハウゼン版と比べるのは無しだよ。

 

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だから言っただろ、ドーナツが美味い店の向かいにある銀行は襲うなって。もう収拾できんのよ。

「2ガンズ」

 

 

デンゼル・ワシントン、マーク・ウォルバーグ共演。なかなか相性良し。

 

ペアで悪さをしているふたり。銀行を襲う計画中。偽装パスポートビジネスも。パスポート何冊もこさえてメキシコの麻薬王グレコとコカインで交換するはずだったのに、相手はコカインでなく、現金を渡すと言う。

 

ボビー(デンゼル・ワシントン)はコカインが欲しいんだよ!とまた来ることに。だってな、ボビーはほんとは麻薬取締局の特別捜査班なんす。潜入調査中なのだった。

 

よくあるストーリーだな、と思って白けるのは早いぜ。だってな、相棒スティグ(マーク・ウォルバーグ)もほんとは海軍の兵士。麻薬カルテル一掃作戦で潜入調査してるんだからな。って、海軍も潜入調査を?そうなんだ。

 

お互い相棒が潜入調査中とは知らない。ふざけてばっかりの潜入捜査キャラしか見てないから気付くわけない。スティグなんて深く考えないアホキャラで通してるし。

 

で、麻薬王グレコの金の調査のため、資金が集められている貸金庫を襲う作戦決行。見込み額の何倍もの現金が入ってて、なんか変じゃね?と思い始める。そう、ちょっと騙されてる?

 

とりあえず山盛り現金を運び出してはみたけど。車のラゲッジスペースに山と積まれた札束を見て、考えを巡らすふたり。絶対になんか変。

 

そのうち、お互いのこともバレて。激しいカーアクションの中、「こんにゃろ!こんにゃろ!」車越しに子供同士のケンカみたいな。笑える。

仲間割れのち、ふたりでこの窮地を乗り切るぜい。

 

笑える掛け合い放出バディもの、いいね。芸達者ふたりの気楽に観られるアクションコメディ。

 

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