はんなちゃん、夜に起きたら自由いっぱい。なんでも自分で出来るもん。

物語のかけらを見つけに

 

三鷹市美術ギャラリー

2026年

 

展示ポスターより『はんなちゃんがめをさましたら』

 

 

絵本作家の酒井駒子、写真家の齋藤陽道、水彩画家の成瀬麻紀子の展示。

 

三鷹市美術ギャラリーは三鷹駅からすぐ。駅前の商業ビル「三鷹コラル」の5階にある。会場は大きくはない。私は酒井駒子の原画が観たくて行ってみた。

 

酒井駒子は『はんなちゃんがめをさましたら』『ぼく おかあさんのこと・・・』『ビロードのうさぎ』『橋の上で』4つの絵本の原画が展示されていた。

 

『はんなちゃんがめをさましたら』が最高だった。

幼いはんなちゃんが皆が寝静まった夜に飼い猫と一緒に家の中で色々と楽しむ話なのだけど、とにかく酒井駒子の描くはんなちゃんの可愛いらしさがじわじわと沁み出している。小さい子の頼りない肩、おぼつかない足取り、頭が大きくて倒れてしまいそうな子供特有の身体バランスが可愛すぎる。あまりの可愛さに原画の前に立って地団太踏みそうになり、酒井駒子の絵の魅力でおかしくなりそうだった。。。ヤバい人一歩手前だった。

 

絵本の内容の紹介はさらっと書かれてはいたのだが、原画の展示のみで文は添えられていない。それでもストーリーがすっと入ってきた。

 

父、母、小さい姉は皆寝ている。はんなちゃんは姉と一緒に寝ている人形をそっと取り上げる。いつもは貸してもらえない人形なのでしょう。姉の向こう側にある人形を取ろうと、小さいはんなちゃんが目いっぱい腕を伸ばす絵が本当に可愛らしい。

 

猫と一緒に階段を下りるはんなちゃん。幼すぎるはんなちゃんと猫の大きさの差があまりないくらい。相棒感。子供には階段の一段が高い。確実に降りていくはんなちゃん。はらはらしますな。

 

猫と一緒にトイレにも行く。はんなちゃんは跳び箱を飛ぶみたいなスタイルでやっとこさ便器に跨っているのが可愛い。猫も猫砂の上で一緒にトイレ中。

 

冷蔵庫を開けてさくらんぼを手に取る。このさくらんぼの絵がもうとんでもなく美味しそう。冷蔵庫内の他のものはさらっと描かれているのだけど、さくらんぼとはんなちゃんの手だけがしっかりと彩色されていて、つまみ食いしようとするさくらんぼとはんなちゃんのわくわくが強調されているのだ。自分が子供だったら、このページが大好きになると思う。

 

猫には牛乳をあげて、はんなちゃんはさくらんぼ一粒を口につけるのだけど、その姿勢がしゃがみポーズ!これが子供の体重の軽さ、頭が大きくて、ころんとバランス崩してでんぐり返っちゃうようなアンバランスさが感じられて、異常な可愛さを放出。激可愛い。

 

そうそう、お姉ちゃんの人形には開いた本をふとんに見立てて、掛けてあげる。これも可愛い。と、可愛いの連続で、原画の前で「あわわわわ」と衝撃に耐えたけど、相当にヤバい状態になった。

 

 

可愛らしさとは違う、酒井駒子の絵の静かな美しさで魅了されたのが『橋の上で』。文がないので、どうしたんだ?と思いながら順に並んだ原画を観ていくのだが、これは橋で死のうとしている?よね??とかなりショッキング。

 

男の子が何やら橋の上で下を見ている。そこに浮浪者風のお爺さんが現れて何か会話。その後、お爺さんは男の子の死を止まらせて、でも自分は死んでしまったのか?気になるので、絵本を読んでみようと思う。

 

 

三鷹市美術ギャラリーには以前に来たことがあって、展示スペースが前よりも小さくなっていないか?と思った。たぶん、そう。

 

だって、こんな玄関が出来上がっていたんだ。太宰治展示室。

 

家族と暮らした終の棲家が三鷹だった太宰治。受付スタッフに太宰の家を移築したのですか?と聞くと移築でなくて、再現してみたということだった。玄関の他には六畳間が一室。他は初版本等の資料を展示した部屋。

 

六畳間には靴を脱いで上がってよし。靴を脱ぐのが面倒で横から見ただけだが。

 

物憂げな顔の写真イメージが強い太宰だけど、こんな優しい笑顔の家族写真が。三鷹の自宅縁側で子供達と寛ぐ太宰。

 

受付スタッフの人々が人懐こくて世話を焼いてくれる。記念スタンプを是非押して。と言うので、素直にポン。太宰がさくらんぼを手にしている。インクもさくらんぼ色。家族のストーリー、短編『桜桃』からと思う。

 

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差別意識を問い直す映画。昔の話だろ?って、いや違う。

「ミシシッピー・バーニング」

 

 

1964年にミシシッピ州フィラデルフィアで公民権運動家3人が殺害された事件をモデルに制作された。

 

冒頭、ホワイト、カラードと書かれた札が掛かった水飲み場が映る。もうやなんですけど。。。

 

で、建物全焼。うーん、キツイ。観るのやめよっかな。。。でも観たよ。全焼されたのはミシシッピの田舎町の黒人教会。公民権運動家の青年3人は選挙の有権者登録の支援で町に来た。それを阻止するため、黒人コミュニティの場である教会を焼き打ちにした。当時、黒人にも選挙権はあった。だが、妨害や焼き打ちを恐れて実際には有権者登録なんか出来なかったのだ。

 

3人は地元警察に逮捕され、その後釈放されるが行方不明となる。殺された気配が濃厚。3人のうち2人が白人だったことが衝撃となって全米にこの事件は報道され、FBI捜査官がミシシッピ入りする。逆に言えば、黒人の行方不明、殺害については衝撃がなかったということだ。恐ろし。

 

現場入りしたのは若きエリート捜査官ウォード(ウィレム・デフォー)と叩き上げベテラン捜査官アンダーソン(ジーン・ハックマン)。捜査を始めるも白人らは彼らを敵対視。じゃあ、黒人らは?って言うと黒人らも全く口を開かない。ちょっとウォードが話し掛けたら翌日その黒人はボコられるっていう恐怖の町。にっちもさっちもいかん。

 

クールなウォードが怒り心頭。バキバキ捜査を進めるんだが、アンダーソンは少し距離を置いた捜査をしていた。タイプの違うふたりなんだ。

 

もう犯人なんて目星ついてるんだよね。KKK(クー・クラックス・クラン/白人至上主義の秘密結社)がいるんでね。もちろんKKK活動時には白頭巾を被ってるけど、もう誰がメンバーかなんて駄々洩れなんだ。ただ証拠を掴みたいけどみんなダンマリだし、町の人は色々恐れて恐怖の結束がガッチガチでどうする?

 

この事件が全米で話題になってるんで、地元住民がテレビ取材のインタビューに答える映像が挟まれる。これって俳優が演じてるんじゃなくて、ミシシッピ住民がリアルに答えてるって聞いたことがあったんだ。それで、差別意識丸出しのことをベラベラ喋る様子に震撼したよ。事件はでっち上げだとか、(公民権運動なんかするから)自業自得だとか言ってるんだよね。え?選挙登録を手伝うことが罪?殺されるほどの?ってほんとに驚く。黒人に入れ知恵するんじゃねーってことみたい。

 

実際アラン・パーカー監督が一般公募で地元住民から起用した人達で、脚本があったかどうかは明らかにされていないのだけど、インタビューしたフィルムから作品に合う人物と回答をピックアップしたと思うから、やっぱりリアルなんじゃないかと思う。

 

町の通りでナッツ食べ歩きしながら、少し距離を置いた捜査をしてたアンダーソンなんだが、ヘアサロンで働く綺麗な婦人を見掛ける。この人は地元保安官ペル(ブラッド・ドゥーリフ)の奥さん。演じてるのが若い頃のフランシス・マグドーマンド。年齢が上がってからのマグドーマンドしか知らなかったんで、フェミニンな美人ぶりに驚いてしまった。肝っ玉母さんみたいなマグドーマンドしか認識してなかったんだ。もしかしたら気付いてなかっただけで、今までもマグドーマンドを観ていたのかもしれない。

で、ペル夫人がこの町の差別から発生したこの事件に耐えられなくなって、KKKメンバーの旦那の嘘アリバイも嫌になって、アンダーソンに絶対に言ってはいけない秘密を打ち明ける。

 

KKKの秘密を漏らしてしまったペル夫人。地元警察には他にもKKKが交じってるんで、ペル夫人からの情報だってバレてしまってるみたい。旦那が帰宅すると後ろにはKKKメンバーも一緒。旦那は自ら妻をボコボコにする。それを後ろで見据えるKKKメンバー。最低の場面。美しいペル夫人の顔も傷だらけ。入院となる。

 

もう距離なんか取ってられっかーー!旦那に詰め寄るアンダーソン。お前を絶対に許さない。

 

事件が一応の解決を見せた後に、退院して家に戻ったペル夫人にアンダーソンは会いに行く。家の中は暴徒にめちゃくちゃにされていた。アンダーソンとペル夫人は心が通っていたんで、これからどうするんだい?にペル夫人はアンダーソンと一緒にこの町を離れてもよさそうだった。でもペル夫人はここに留まると言う。彼女は差別的な人間ではなかった。黒人と接する時も白人と変わらない態度だった。差別的な町の住民は間違っているとも思っている。でも、それらを受け入れて傍観していたことにも自覚的なのだと思う。子どもの頃からのこの町で生きていく。余所は恐いに違いない。相応しくないとも思っているんじゃないか。KKKメンバーじゃなかった町長が自ら首を吊って死ぬ。彼は何もしていなかったのになぜ?との問いに、いや、見て見ぬふりをした。罪があると。ペル夫人は首を吊ってはいない。でも半死状態でこの町で生きるのだ。罪があると。

 

マグドーマンドは本作でアカデミー助演女優賞に初ノミネート。その後アカデミー賞常連となり、主演女優賞を3回受賞している。

 

辛い映画ではあるのだけど、その辛いところを白日の下に晒して、人間ってこんな風に考えてしまうんだよ。どうしてこうなっちゃうの?時代の所為だけでもないんじゃないか?なんだか恐いよ。と考えさせるんだ。黒人差別はダメだろって分かりやすい種類のものだと思うけど、なら他の差別は?地元民のインタビューで、これはマズイ。と思うけど、本人達は正当な意見だと信じている。そういうことがまだまだ社会にあるんじゃないかって、自分にもあるんじゃないかって、これって黒人差別だけの話じゃないんだ。

 

なぜ差別は続くのか?の問いに、映画内のラバの話が悲しいよ。アンダーソンが子供の時、近所の黒人がラバを買った。ラバのお陰で農作業がバリバリ進んでいいね。でもそのラバがある日殺されたんだ。アンダーソンは殺したのが父親だって見抜いたよ。なぜ黒人を憎む?の答えをアンダーソンが語る。「黒人を憎んだ親父の本当の敵は、貧乏だったんだ。」悲しいよ。クロよりダメな俺、見たくねえ。これってほんとに人種差別だけの話じゃないんだ。

 

 

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もわもわ、むくむく。軽薄な色、ピンク・グラデショーンの狭間に挟まれて。

松本陽子

宵の明星を見た日

 

   府中市美術館

   2026年

 

 

冒頭の解説で1936年生まれとある。は?すると、現在90歳。ご健在であり、今回が初めての美術館における大規模個展とのこと。

 

松本陽子、画家生活65年・・・!ご本人のインタビュー映像があり、最新作に立ち向かう姿を見ることができたのだが、高齢者という雰囲気はない。新作に使用しているオイルパステルの青に艶があっていいと快活に自身の作品について語っている。90歳・・・今の人間は若いと言えど。どうなってんだ、現代の90歳?

 

展示は5章に分類され、入り口ロビーの展示では新作の青系の抽象画が並ぶ。

 

写真撮影は出来なかったので、画像は美術館外のボードより。『青の明星を見た日』青色が清々しい。

 

最新作、2026年に出来立てほやほやの『植物に視つめられる私』も青系。植物に視つめられるってどういうこと?ってことなんだが、本人インタビューで、怪我をしてアトリエでなく自宅で絵を描くことになり、スペースが狭い。そんな空間で植物同士が会話をして、自分が見られている気がしたと。インタビュー映像前にこの絵を先に観ていて、たっぷりした青の奥に、背を伸ばした草花らしき白い線描があることが気になったのだ。それが視られている気がした植物なのだった。

 

青系の中では他に白が多い『空中庭園』が気に入った。これにも植物が。

 

そして、圧巻がピンク系の展示室。1987年から1995年制作のこれらピンクの絵画によって松本陽子は評価を得た。巨大サイズの絵画が並ぶ。とにかく、きれいだ。このピンク群が一番と思った。ぱっと見は似通っているのだが、それぞれ確実に違う。私は『ベイルシェバの荒野Ⅱ』と『薄く溶かされたブルー』が好きだった。

 

ピンクがふわ~っとけぶる。雲のようにも見える、ピンクから浮かび上がる白の美しさ。重層するピンク、白、グレー、黒が立体的に迫ってきて、そのもわもわしたものを手に取りたくなる。触れたくなる。正体はなんだか分からないのだけど。

 

屋外の明るい陽射しを浴びていた、ピンク系『黒い岩V』。

 

松本陽子は油絵の質感に違和感を感じていたところ、この時代の新しい画材であったアクリル絵具に出会って独自の技法をみつける。木綿のカンヴァスにアクリル絵具を染み込ませて、乾ききらぬうちに布で拭き取る。巨大サイズのカンヴァスを乾かないうちに描くのだから、一日で仕上げなくてはならない。相当に疲れてぐったりしたと言う。

 

布で拭き取って仕上げた抽象画が、神が風を吹いて雲が巻き上がっているような、宗教画の一部を拡大したかのようにも見えた。超拡大し過ぎて、ピントが外れた写真のようにも思えた。答はないので、ただその不思議な色彩のせめぎ合いを楽しむ。

 

なぜピンクなのか?松本陽子は「透明な色彩で軽快な絵を描きたい」と思い、ピンクを「軽薄な色」ゆえに選んだと言っている。この時代の絵画の世界では確かにピンクは軽薄な色だったのでしょう。重厚さを敬遠した画家の軽やかさへの解。

 

松本陽子はカンヴァスに絵を描くために下図や習作を作ることはない。一発勝負!興味深い。なのだが、スケッチブックのドローイング展示もあって、どれもとてもきれいだった。

 

 

府中市美術館は都立府中の森公園内にある。人口池には滝が流れていた。夏に楽しそうだけど、入ってはいかんのです。

 

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え、兄さん?今さら言われてもさ~。勝手に恨まれて悪の組織大きくしてたとか、その熱量なに?

「007 スペクター」

 

 

ダニエル・クレイグ007の第4弾。

 

メキシコシティ、死者の日。ガイコツの山車、祭を楽しむ人々の中に美女を引き連れたガイコツ男が。身のこなしで分かる。ボンドだ。

 

ふたりはパレードから外れて上階の部屋へ。すぐに戻ると窓からひとり外に出るボンド。柵も何も無くて結構恐いけど、細い屋上の端をスタスタとなんなく早歩きして建物を渡っていくボンド。下界ではパレードが続く。流れるようなカメラワークで、この一連のシーンがすごくいいね。カット無しの長回しに見えるけど、実際はいくつかに分けて撮影したのを上手に繋ぎ合わせているとのこと。

 

で、向かいの建物の窓に向かって銃を撃って仕事をサクッと片付けたんだが、なぜかその建物が爆発してボンドの方に建物ごと倒れてきちゃったもんで、超ピンチ。もちろん乗り切るけど、その乗り切り方がスマート&お茶目で楽しませてくれるな、君。

 

殺した相手の奥さんがモニカ・ベルッチ。当時51歳で歴代ボンドガールで最高齢だって言うんだが。ジュディ・デンチはボンドガールにカウントされてないのか?恋愛要素がないからかな。ベルッチの出演時間は短いのだけど、最高齢とかは、かっ飛ばしてる妖艶さ、美しさを放ってた。ガーターベルトがビシッと決まる貫禄のお姿に震える。

 

今回メインのボンドガールがレア・セドゥなんだが、モニカ・ベルッチを見た後だからか、なんか弱い。色々と衣装替えもしてるんだけど、どうもぴんとこない感じ。豪華列車のレストランで紅いリップにロングドレス姿も披露してくれるんだけど、ハッとしない。。。ショックを受けるくらいの圧倒的な迫力をボンドガールに求めてしまうんだ。。。


で、レア・セドゥの所為じゃないんだけど、冒頭のメキシコシティからずんずんと進んで楽しんでいたのが、レア・セドゥ登場辺りからトーンダウン。

 

それは、敵のスペクターの親玉オーベルハウザー(クリストフ・ヴァルツ)の行動が訳分かんないからなんじゃないか?

 

ボンドと義兄弟とか言い出して、ボンドにちょっかい出してきてるんだが、何したいの?っていうのが権力持つとかぺらっとしていて、だからその権力持ってどうしたいわけ?世界を牛耳るんだ~とかで、どうもマンガっぽいというか、アホっぽさが滲んでしまうのはどういうわけだ。今回、今までのダニエル・クレイグシリーズのリアル路線からちょっと違う感じがする。どうしたんだろう?

 

最近、ショーン・コネリーの007を観たんだけど、そういうテイストを感じた。往年のザ・007映画を作りたかったんだろうか。ちょっと中途半端な印象。ボンド・ガールが目立ってないのもいまいち。ダニエル・クレイグ版最終話の次回作に期待。

 

元プロレスラーのデイヴ・バウティスタ(左)が敵のゴッツイ人役で登場。レア・セドゥ(右)を浚っていったり、ボンドと肉弾戦したり。これも007シリーズの鉄の歯で襲ってくる怪力男ジョーズ風味だったけど、そもそも歴代ぶっ飛び敵キャラ上位のジョーズを超えることは無理だしな。

 

ロジャー・ムーア版の『私が愛したスパイ』での怪演、好評ぶりから『ムーンレイカー』でも再び登場したジョーズ(リチャード・キール)。鋼鉄の歯がキラキラの大男。『ムーンレイカー』ではラブロマンスもあり💛両方楽しい映画なので観てほしい。

 

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制御不能!無人の暴走列車を止められるのは、もうデンゼルしかいないんじゃい。

「アンストッパブル」

 

 

重量級の貨物列車。作業員のミスにより列車が無人のままに走り出してしまう。ちょっと油断して運転席から降りてしまった作業員。慌てて運転席に戻ろうとするも、贅肉多めの体が追い付かない。。。

 

列車が行っちまったんだ。。。人の乗ってない貨物列車だからなのか、なんだかゆったりモードで相談中。ちょっと、早く列車止めなくちゃだよ?

 

ほんとにゆったりしてる場合じゃなかった。弾みで運転レバーがガクンと動いてスピードアップ。貨物列車はずんずん進んで、暴走列車と化すのだった!しかも貨物は爆発物。どうしてくれんだ、緩み過ぎの作業員。もうクビだかんな。列車は人がいっぱいの街に向かって、もう止まらない、止められない。未曽有の大事故を予感するこの展開。どうすればいいんだ?

 

そこにベテラン機関士のデンゼル・ワシントン。今日入ってきたばかりの新人車掌クリス・パインを連れて別の機関車に乗っていたのだった。もうデンゼルに掛かってるんじゃね?デンゼルなら暴走列車を止められるんじゃね?きっとな、頼むよデンゼル!というストーリー。

 

列車が大きくて頑丈。これが無人で暴走って。。。勘弁して。

 

停まってたトレーラーなんて強引に吹き飛ばしちゃうんだ!すごいパワー。これをどう止めるっていうんだ?

 

俺は死にたくないね。誰かがやるしかないんだ。やらなきゃ爆発して有害物質が街を殺す。

 

もう、デンゼルは命を懸ける気なのだった。

 

止まる気配ゼロ。重量感たっぷりの無人暴走列車が恐いっす。

 

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ほんとに、ほんとの最後だな? いや、また作っても構わんよ。

「ランボー ラスト・ブラッド」

 

 

いきなりの鉄砲水ってなんだよー。

前作でアリゾナに戻るのかな?という気配だったラスト。やっぱりアリゾナに戻っていた。水害に見舞われた山に入って救助活動をするランボー。災害時にはボランティアでいつも助けに来てくれると感謝されてるんだ。ランボーシリーズ冒頭はいつもこんな感じだよね。筋肉と瞬時のジャッジ能力を市民のために使ってるんだよね。爽やかランボー。

 

救出に馬に乗って現れたんだよね。前作から10年が経過していて、父さんが亡くなった後に牧場を継いでいるんだ。馬を乗りこなすランボー。牧場育ちだったんだね。

 

ランボー第5弾。ランボー4で邦題を「最後の戦場」としてしまって失敗。今回こそが最後のようです。原案シルベスター・スタローン、脚本にも携わっているが、今回はスタローンが監督じゃない。

 

牧場では父の代から働いてくれているメキシコ系のマリアとその孫娘ガブリエラも共に暮らしている。ガブリエラが幼かった時に母親が病死。父親はガブリエラを置いて出て行ったため、ランボーはもうすぐ大学へと進学するガブリエラの父親代わりとなって可愛がっている。今回ランボーはパパ役なのだった!人間愛の中に生きるランボー。嘘みたいだよ、よかったね。

 

そんな幸せの中、ガブリエラはメキシコで行方知れずだった父親が見つかったから会いに行くと言う。ろくでもない男であることをよく知っているランボーとマリアは、ガブリエラが傷つくだけだとメキシコ行きを反対。一旦はわかったと言うガブリエラなのだが、内緒でメキシコへ行ってしまう。悪い予感。

 

で、父親には会えたのだが「2度と来るんじゃねー!」と門前払いを受ける。ランボー達の言った通りだった。。。で、そのまま帰ってくればよかったんだけど、メキシコ案内役の友達に騙されて売春宿に入れられてしまう。そんなの許されない。ランボーが救出へ!

 

ランボー頼むよ!と思ったら、メキシカンチンピラに囲まれてボコボコにされた。。。相手が多過ぎる上に、武器取られちゃったんだよね。でもランボーでしょ。どうして?もうおじいちゃんだから??ランボー魂どうした?

 

ボロ雑巾状態のランボーは、妹をメキシカンチンピラ軍団に殺されたフリージャーナリストの女性に助けれらたんだけど、酷い怪我だったんで4日が経過。その間にガブリエラはクスリを打たれて、顔をナイフで傷つけられて、売春宿で酷い目にあって。もう、可哀想過ぎるんだが。舞い戻ったランボーに救出されるけど、家に帰る途中で息絶える。

 

ランボーの復讐始まる。

メキシカンチンピラ軍団に運転免許証を取られてたんで住所がバレてる。ランボーはリーダー格兄弟の弟を首ちょんぱして殺害。牧場に罠を仕掛けて敵を迎え撃つのだ。

 

広大な土地をお持ちです。仕掛けた罠でチンピラ達の車を次々爆破。

 

冒頭、ランボー牧場には迷路状のトンネルが掘られてることが紹介される。そこにトラップ仕掛けてランボーひとりで多数のチンピラを次々殺害。工夫いっぱい、グロいっぱい。

 

なのだが、戦いまでが長過ぎてダメだ。早くメキシカンチンピラと戦ったらいいのに、ちゃんとした戦いは最後だけなんだ。ランボーの楽しさって戦いしかないよね。敵もチンピラでランボーの相手に見合ってないし、俳優も魅力が無いし。今まで組織のしっかりした軍と戦ってきたから、かなり見劣りしてる。やっぱりランボーがおじいちゃんだから?もはやチンピラくらいといい勝負ってことなのか?

 

で、総括。ラスト・ランボーはぜんぜん、全く!ダメ過ぎるよ!!これって全世界に配給されたんだよね?これでいいのか?ダメだろ。ランボー1から5まで全部観てきたよ。粗もあったけど、まぁ4まではいいよ。5はもはやランボーじゃないのでは?戦争どこ行った。ジャングルどこ行った。アリゾナの雄大な自然がランボーの世界観に合わないのか。

 

ただね、最後のシーンはもう凝視だよ。戦い終わった血だらけランボーが、ポーチのロッキングチェアに座るんだね。で、うなだれて完!っていう。あしたのジョーのラストなんだよね。白いジョー状態だったんだよね。スタローンがジョーを見てたかはわからんけど、とにかくうなだれて、死んだかどうだかぼやかしてんだよね。当時編集部に子供達から電話が殺到したっていうんだ。ジョーは死んだんですか?って。電話に出た人は絶対に「死んだ」とも「生きてる」とも言っちゃいけないんでね。「白い灰になりました」って子供に伝えるんだよね。これもその匂いを感じたね。

 

ランボーは死んでないと思うよ。またやる気だよ、きっとな。

 

 

ランボー1から読む気はあるかい?5まで書いたから、是非読んでみておくれ。

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とてつもないスーパースター、マイケルから夢のキラ粉を全身に浴びる。

「Michael/マイケル」

 

 

その類いまれなる音楽の才能でとてつもないスーパースターとなったマイケル・ジャクソン。しかし、彼の晩年はその一般ピープルと掛け離れた変人ぶり、黒人から白人になったのか?の別人級の整形による顔面崩壊、そして自宅ネバーランドに招待した子供から性的虐待の被害を訴えられて裁判沙汰(真相はわからない。ツアー中止を避けるため、示談金を払って解決した事がスキャンダルとして尾を引くことになった)になったりと完全なキワモノとなっていた。その後マイケル再評価へと確実に進んでいた矢先、ロンドンライブ公演目前で彼は鎮静剤の過剰摂取により急逝してしまった。

 

そんなマイケルの自伝映画。どこをどう切り取ろうって言うんだ?と思ったらジャクソン5の子供時代からキングオブポップの頂点へと到達するところまで。『Bad』で物語は終わり、でも「続く」ようだったんで第2弾を予定しているのか。キワモノ化していく時期の2は荒れるな。どう映画として仕上げるのか興味があるけど、マイケルを只々擁護するだけの作りだとそれもどうかとも思うし、2の方が難しそうだ。

 

で、本作。強烈ステージパパの指導の元、男兄弟5人で結成したジャクソン5が大成功を収める。楽曲の良さ、兄弟である5人のコーラスワークによるところももちろんあるのだけど、リードボーカルのマイケルがいなければあれほどの成功はなかった。鉄工所労働者だったパパの暮らしから、ジャクソン家は豪邸住まいに移り、動物好きのマイケルのペットとして庭にはキリン、ラマ、そしてチンパンジーのバブルス君も共に暮らすように。子供時代からスーパースターとなったマイケルには同年代の友達がいないんで、ペットと心を通わせているんだ。

 

マイケル様様なのだが、パパは自分の成果だと本気で信じていてマイケルを支配する。私はマイケルの生い立ちを元々知っていたので、横暴なステージパパがマイケルを苦しめるストーリーを入れないわけにはいかない、でも辛そうだし、この辺りはあんまり見たくないと思っていた。

 

パパとの確執によりマイケルが他者とのコミュニケーションに難があるだとか、「でか鼻」とかパパに言われて容姿へのコンプレックスが形成されて整形を繰り返すことになったと強調して描くことも、苦悩でいっぱいのシリアスムードにすることも出来るわけだけど、本作ではそこらを殊更に暗く描いてはいない。

 

古い時代を描いたアメリカ映画で、子への折檻で父親が自分の革ベルトを外して鞭打つっていうのがある。パパもマイケルを鞭打つ。マイケルは泣いて直接的にパパに歯向かうことはないのだけど、パパのステージレッスンで歌う時の目線の指導中「俺の目を見ろ」と言われることが度々あるんだが、マイケルはパパをチラ見しかしない。背中が腫れ上がるところを見せるだとかの表現にはしないで、パパへのマイケルの気持ちを間接的に表す。

 

「でか鼻」と言うパパなんなん?ではあるのだけど、鼻を手術して帰宅したマイケルにパパが気付いた時、パパが「でか鼻」っていつも言うからってことでひと悶着ってことにもならないし、なによりマイケルは整形後の鼻を鏡で見て、すごくいいじゃない?と満足そう。

 

パパに支配されつくすマイケル像にしていないことにとても好感を持った。ここが物足りないって言う人がいるかもしれないけど、ここを掘り下げてもしょうがないから。マイケルという特異な人物を形作ったに違いない父ジョセフの影響を色濃く、壮絶に描くことは簡単だけど、そんな父と子をマイケル伝記映画で見てどうする?父の影響はあれどマイケルの音楽の才能の方が莫大であって、彼の煌めきこそを描くべきと思う。マイケルのスター化が止まらない中、「俺が、俺が」のパパが段々と滑稽に見えてくるのを悲愴感でなく、ユーモアでさらりと表現しているのがいいと思った。映画全体の軽やかさキープ。

 

困ったパパではあるのだけど、マイケルはパパと決別した後も実家に行ってパパと交流している。酷い事があったとて、家族の繋がりは続いていく。それがこの頃の実際の家庭ではないだろうか。現代のパパだったらジョセフも鞭打ってない。彼はそういうものだと信じ込んでいた。正す背景を何も持っていなかった。哀れ。でも責めるばかりにはなれない。

 

ソロ活動を始めたマイケルが、次々と浮かぶ楽曲、MVのアイデアを爆発させていく。私はジャクソン5も大好きだし、大人になってからのマイケルのいわゆる”黒人時代”の楽曲も大好きなので、次々と披露される歌とダンス、衣装、MV制作場面が楽しくてならなかった。マイケルは整形で顔が変わっていくのだけど、どこでどういう整形をしたかはわからなくとも、演じた実の甥ジャファー・ジャクソンのヘアメイクで各曲で少しずつ違うビジュアルをしっかりと再現していたのがすごいし、楽しい。

 

マイケルのように映像が大量に残っている人の伝記映画では似てる、似てないが色々と語られることになるけど、私は似ているかどうかという視点は映画を観ている間完全にどこかにいっていた。マイケルというスターの伝記映画としてジャファーの姿を見ていたので、かなりしっくりと自然だったのだと思う。

 

そして、マイケルの繊細な優しさをさりげなく多用しているところもよい。おもちゃ屋で偶然居合わせた子供達、病気で入院する人達に優しく接するマイケル。人に対してソフトに対応するのがマイケルの素敵なところだと思うので、そういった側面を盛り込んで、変人括りでないマイケルの人となりが出ているのがいい。スーパースターってテンション高過ぎておかしくなる系もあるけど、マイケルは穏やか。表に見えているマイケルではなくて、普段のマイケルの繊細な性質や人々への優しい心を子供時代からのボディガード、ビルがいつも側で見ているという、さりげないポジショニングが効いていた。

 

マイケルの逸話で私が印象に残っていることがある。歌っている時のパワフルボイスに反して、インタビューではスーパーか細い声で話すマイケルなんだが(それは喉を守るため)、そういった姿がアメリカでは弱い人間=話を真面に聞かなくてもいい人間として認識されてしまう傾向があると。日本に来日したマイケルが、日本では静かな声で話す人に対して思慮深さを見てリスペクトしてくれるんだ。と言って日本の素敵さを感じていた。確かにそう。大きな声で発言する者の意見が通りやすい文化がアメリカ的だとすれば、大声でガリガリ来る人を嫌がるのは日本的。

 

ソロ活動で驀進するマイケルの制作風景で、クインシー・ジョーンズとのやり取り、楽曲の工夫でブラッシュアップしていく過程だとかがもっと盛り込まれていてもよかったかなとも思うけど、それをするとマニアックになり過ぎてしまうのかも。

 

マイケルのとてつもない才能に周りが驚愕して、マイケルに自由に制作させる手段を取ったこと、自由制作をレコード会社に納得させるだけのドビックリのセールスの成功があって、MVという音楽を楽しむ別の手段が加速した時代がちょうどマッチしたこと、映画内で「彼ほどの人は今までも、これからも出てこない」と言われていたのだけど、ほんとにそうだと思う。マイケルが完全なる世界のスーパースターへと爆心していく様は、特にマイケルの楽曲ファンでなくとも、マイケルの事を知らない人でも、最高の楽曲とステージの波で誰もが楽しめる映画に仕上がっていると思う。こんなとんでもないスーパースターが実在したことをリアルに感じて、夢のキラ粉をたっぷりと浴びるでしょう。

 

白ソックスのマイケル。ソックスからキラ粉がたくさん零れてた。

 

ポウ!もしかしたら、マイケルと並んで写真を撮るためのボードだったのかも。じっと見るだけで帰ってきてしまったが。

 

 

マイケルMV総まとめ映画『ムーンウォーカー』についてはこちらをどうぞ。

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